高家学ぼう会(千倉地域づくり協議会きづな)

千倉きづな_高家学ぼう会20160721
高家学ぼう会の会議(朝夷行政センター)
高家神社
高家神社(たかべじんじゃ)
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高家神社の例大祭での包丁式
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はな料理
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古式料理
南房総市では旧町村単位で「地域づくり協議会」があり、旧千倉町をフィールドとするのは「千倉地域づくり協議会きづな」である。住民と行政のコラボレーション組織だ。 ここでは、地域が抱える様々な問題を話し合う。今回は地域の食材を生かした商品開発が進んでいるということでお邪魔した。さて、千倉町谷津地区には知る人ぞ知る料理の神様「高家神社」がある。

由緒とその後の伝えによれば・・・
第12代景行天皇が、皇子の日本武尊の東国平定の御業績を偲びつつ安房の浮島に行幸された折、侍臣の磐鹿六雎命が堅魚と白蛤を膾(なます)に料理し献上されたところ、天皇は大いに賞味され、その料理の技を厚く賞せられ膳大伴郡を賜った。(「日本書紀」景行天皇53年冬10月の条記)
この功により、若狭の国、安房の国の長と定められ、以後代々子孫は膳の職を継ぎ、もし世継ぎのないときは天皇の皇子を継がせ、他の氏を交えず宮中の食事を司るようなった。その後子孫の一部は、祖神である磐鹿六雎命を料理の始祖として因縁の地であるこの安房の国を選び、氏神として祀り集落を築いたが、天災により社殿や人家、耕地を失った。

延喜式神名帳に「安房国朝夷郡 高家神社」と記載されているが、後に衰退・廃絶したものと見られ、長らく所在は不明となっていた。現在の高家神社の起源は江戸時代の初頭である。元和6年(1620年)、高木吉右衛門が桜の木の下から木像と2面の鏡を発見し、それを神体として「神明社」として神社を創建した。その約200年後、この鏡に「御食津神、磐鹿六雁命」と書かれていることがわかり、これは所在が不明であった高家神社の神体であろうということで、文政2年(1819年)、京都の吉田御所に届け出て証を願い、神明社から高家神社に改称した。

長々と高家神社の歴史に触れたのは理由がある。「高家学ぼう会(千倉地域づくり協議会の部会)」は、いわゆる料理の神様とも呼ばれる高家神社にちなんだ地域食材を使った開発をしようとしている。従来から千倉町は古式料理や食用花(エディブルフラワー)などの商品化を実現している。 「美味八献」これは、千倉町地域の古式料理やはな料理、そしておもてなしを表現したキャッチフレーズである。さて、今回は何を創作するのだろうか!?高家学ぼう会の堀江部会長によれば・・・

「梅」

だとのこと。皇室献上品レベルの梅の加工品が近々味わえることになりそうだ!(南房総市は長い間、特産の枇杷の最高級品を皇室に献上している、もしかすると「梅」が加わることになるのかもしれない) こうなると会議は話が弾み、個人的に「いい線行くかも」と思ったのが・・・

「さつまいもの茎のキンピラ」

隣の経験豊かな女性に聞けば、昔はよく食べていたそうである。しかし、食感を良くするために茎の薄皮を向くのが手間がかかるとのこと。最近ではさつまいもが、どういう茎や葉っぱをしているのか知らない人も多いが、さつまいもの地上部分は、ほとんど廃棄されているのではないだろうか? 土地柄、乳牛飼育が盛んだった頃は、牛の食べ物としたこともあっただろうが、現在はほぼ使用されないで廃棄されている。丁度これからが旬である。個人的には食してみたい逸品である。

◆参考ホームページ、出典など

 

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